この雅やかな装いは、奈良時代の宮廷における女官の朝服、礼服が平安時代に入ってからの遣唐使の廃止と共に変化し、形作られたものです。
唐風文化から和風文化が生まれ育ち、それに伴い装いも次第に和風化し、約千年の頃からこの装いが整いはじめました。
そして藤原一門の栄耀、栄華、権力、財力豊かな貴族社会、宮廷において完成されました。
当時は「十二単」という呼び方は致しませんし、又、十二枚どころか二十四、五枚重ねており、その様子は平安文学の源氏物語や栄花物語に詳しい記述があります。
現在においても「十二単」とは俗称でございます。
「裳唐衣」「唐衣裳姿」「晴れ装束」と呼ばれておりました。
女房とは決して妻、奥様という意味ではございません。
天皇や皇后、中宮、親王、内親王、女御、更衣にお仕えしている高級女官、召し使いのことでございます。
もちろん皇后、中宮、内親王、女御、更衣もこの装束をお召しになりますが、正式な晴れの場合だけで、普段は高貴なお方はもっとお楽な袿姿で日常暮らしておいでで、この様な重く苦しい装いはなさいません。
でもこの方達にお仕えしている女房達は一年、三百六十五日、朝から晩までこの装いでお仕え致します。一条天皇の中宮、藤原彰子にお仕えした皆様もよくご存知の紫式部、皇后、藤原定子にお仕えした清少納言、この人達が女房でございます。
一人の天皇、皇后、中宮、親王、内親王に女房はそれぞれ四十人から五十人お仕えしています。
又、一人の天皇の妃だけでも十人位いらっしゃいましたので、その妃一人一人に又、四十人から五十人の女房がおりましたから、もう宮中は五百人以上の女房達がこの装いでぞろぞろいるわけでございます。
そして平安時代の末期頃から、この装いは女房装束と呼ばれるようになりました。
学院長 大久保 次江
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08/01/12
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