![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
|---|

2、お宮詣りについて
「五十日(イカ)の祝」
現在のお宮詣りに通じるのが、平安時代からあった「五十日の祝」というもの。平安時代には、生まれて五十日目に五十日の餠といって、餠を赤ちゃんの口に含ませ、盛大なお祝いをしたそうです。 |
平安時代は生まれて五十日目に五十日(いか)の餅といって赤児の口に餅を含ませ、盛大なお祝いをしました。 学院長 大久保 次江 |
「源氏物語」 ー光源氏が須磨・明石に流謫(るたく)(自らが都を隠退して須磨に下った)している間に、光源氏との子を明石の君が懐妊します。 (原文) 五月五日はちょうど姫君の生後五十日目で(3月16日生)五十日の祝に当たるはずと、源氏の君は人知れずお数えになって、明石にお使いを向けられます。そのお心遣いのご立派な品々の数々は普通では考えられない程、結構な有様で…。 第36帖[柏木]からー源氏の君の正室、女三宮がお産みになった薫の五十日の祝の様子ー (原文) 三月になりますと空の景色もうららかで、この若宮も五十日お祝いをなさる程になられ、源氏の君のお心尽くしの数々をご立派になさいましたが…源氏の正室である女三宮が源氏の子として産んだこの若宮は、実は女三宮と柏木との不義の子であることをご存知の源氏の複雑な心の内が見える記述です。 「栄華物語」 ー中宮彰子が第66代の一条天皇の第二皇子、敦成親王をお産みになった様子からー (原文) そうこういううちに、御五十日の祝儀の行われる11月1日になりました。女房達のお見事な装束、立派な調度の数々の全ては一条帝の中宮彰子の父君、藤原道長がご用意されたものです。御座所は北から南まで柱に隙間もなく御几帳が立てられ、それはそれはご立派な様子でした。 第27巻「ころものたま」から ーここでも藤原道長の娘(尚侍)嬉子がお産みなった第69代、後朱雀天皇の東宮時代の第一皇子、親仁親王(第70代、後冷泉天皇)の五十日のお祝の様子。…ですが、嬉子は出産の直後に亡くなってしまい、その法要のすぐ後という何とも悲しい五十日の祝です。ー 「若宮の御五十日は二十二日にぞあたらせたまひける。いとゆゆしきほどの御事どもなれば二十七日吉き日なりければそれにぞきこしめさせる。大宮よろづにとりあつかひきこえさせたまへば、内、東宮、宮々なぞに…」 若宮の御五十日の祝いは22日に当たっておられたが、全くもって不吉な期間のうちでしたので、吉日であった27日にお祝いをされました。 雅和装学院 学院長 大久保 次江 |
現在のお宮詣りは、赤ちゃんが産まれて一ヶ月頃に土地の産土神に誕生のご報告と、健やかな成長を祈願する大切な通過儀礼です。
次回は、いよいよ「七五三詣り」に入ります。 |
This page last update :
06/08/04
※個人使用目的以外には無断で使用しないで下さい。
Copyright(C)2003〜
MIYABI (http://www.miyabi-w.com) All Right Reserved. mail:webmaster@miyabi-w.com