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2、お宮詣りについて

「五十日(イカ)の祝」

現在のお宮詣りに通じるのが、平安時代からあった「五十日の祝」というもの。平安時代には、生まれて五十日目に五十日の餠といって、餠を赤ちゃんの口に含ませ、盛大なお祝いをしたそうです。
まずは無事にこの世に新しい命が生まれた喜びを祝った「産養い」や「御湯殿の儀」。
今度の「五十日の祝」は、ここまで無事に赤ちゃんが育ったことを喜び、これからの豊かで健やかな成長を祈るお祝いだったのではないでしょうか。
今現在お宮詣りのぞむ、家族や縁者の想いも変らないですね。
そんな「五十の祝」について、今回は先生にお話してもらいましょう!

 

平安時代は生まれて五十日目に五十日(いか)の餅といって赤児の口に餅を含ませ、盛大なお祝いをしました。
平安文学の源氏物語、栄華物語、紫式部日記等々に私達が想像する以上に大変ご立派で善美を尽くした儀式や宴の様子が書かれていて目を奪われます。
平安文学から詳しい記述のある巻の一部を紹介させて頂きます。

学院長 大久保 次江

 

 

「源氏物語」
第14帖[澪標]から

ー光源氏が須磨・明石に流謫(るたく)(自らが都を隠退して須磨に下った)している間に、光源氏との子を明石の君が懐妊します。
しかし源氏の君は帝からの赦免の宣旨が下り、二年半ぶりで明石の君を置いて都に戻ります。
年明けて、明石の君は3月16日に無事に女の姫君を出産します。
源氏の君はひそかに日を数えられて、5月5日がちょうど五十日目に当たると、明石にお祝いの使者を差し向けられます。大層ご立派なお心遣いの数々をお届けになります。ー

(原文)
「五月五日にぞ五十日には当たるらむと、人知れず数へたまひて、ゆかしうあわれに、おぼしやることもありがたうめでたきさまにて、まめまめしき御とぶらひもあり…」

五月五日はちょうど姫君の生後五十日目で(3月16日生)五十日の祝に当たるはずと、源氏の君は人知れずお数えになって、明石にお使いを向けられます。そのお心遣いのご立派な品々の数々は普通では考えられない程、結構な有様で…。

第36帖[柏木]から

ー源氏の君の正室、女三宮がお産みになった薫の五十日の祝の様子ー

(原文)
「弥生になれば空のけしきもものうららかにて、この君、五十日のほどになりたまひて、いと白ううつくしう…いろいろを尽くしたる籠物、檜破籠の心ばへどもを…」

三月になりますと空の景色もうららかで、この若宮も五十日お祝いをなさる程になられ、源氏の君のお心尽くしの数々をご立派になさいましたが…源氏の正室である女三宮が源氏の子として産んだこの若宮は、実は女三宮と柏木との不義の子であることをご存知の源氏の複雑な心の内が見える記述です。
かつて源氏の君が、継母である藤壷の宮にご自分のお子(冷泉帝)をお産ませになったことの因果がこうしてめぐると、紫式部は説いているようです。

「栄華物語」
第八巻[はつはな] から

ー中宮彰子が第66代の一条天皇の第二皇子、敦成親王をお産みになった様子からー

(原文)
「かくいふほどに御五十日霜月のついたちの日になりにければ、例の女房さまざま心々にしたて参り集まれるさま…御帳の東の方、御座の際に北より南の柱まで隙もなう御几帳を立て…殿、餅まえらせたまふ…上達部参りたまへり右大臣、内大臣もみな参りたまへり…」

そうこういううちに、御五十日の祝儀の行われる11月1日になりました。女房達のお見事な装束、立派な調度の数々の全ては一条帝の中宮彰子の父君、藤原道長がご用意されたものです。御座所は北から南まで柱に隙間もなく御几帳が立てられ、それはそれはご立派な様子でした。
右大臣、内大臣をはじめ、上達部全員がお集りになっての盛大な五十日の祝儀の宴の様子が記述されています。
道長が自ら若君をお抱えになって、お餅を差し上げます。
ここで詳しくまではご紹介できないのが残念ですが、天下を極めた藤原道長の娘、彰子がお産みになった皇子の五十日の祝ですから、その立派な様子を皆様ご想像下さいませ!
この様子は紫式部日記にも詳しい記述があります。

第27巻「ころものたま」から

ーここでも藤原道長の娘(尚侍)嬉子がお産みなった第69代、後朱雀天皇の東宮時代の第一皇子、親仁親王(第70代、後冷泉天皇)の五十日のお祝の様子。…ですが、嬉子は出産の直後に亡くなってしまい、その法要のすぐ後という何とも悲しい五十日の祝です。ー

「若宮の御五十日は二十二日にぞあたらせたまひける。いとゆゆしきほどの御事どもなれば二十七日吉き日なりければそれにぞきこしめさせる。大宮よろづにとりあつかひきこえさせたまへば、内、東宮、宮々なぞに…」

若宮の御五十日の祝いは22日に当たっておられたが、全くもって不吉な期間のうちでしたので、吉日であった27日にお祝いをされました。
大宮(彰子)が大事にお世話申し上げ、こんな時期ではありますが盛大に営まれた様子が記述されています。
この時代は出産で亡くなる方が大勢ありましたから、悲しみと喜びの複雑なことが沢山ありました。

雅和装学院 学院長  大久保 次江

 

現在のお宮詣りは、赤ちゃんが産まれて一ヶ月頃に土地の産土神に誕生のご報告と、健やかな成長を祈願する大切な通過儀礼です。
元々は氏子入りの挨拶に由来されるようですが、感覚としては一人の人間としてそのコミュニティーの一員として認めてもらう…といった感じでしょうか。


おばあちゃんに抱かれて、立派な祝い着をかけられる…私達の多くが最初に身にまとう晴れやかなきものです。
小さな可愛い社会デビューを、日本人の民族衣裳であるきものでスタートすることは、やはりとても意味のある素敵なことですね。
レンタルだってもちろん構わないと思います。そんな自分のお宮詣りのお写真を後に見るだけで、温かく誇らしい気持ちになるものです。
お母さんや赤ちゃんの体調もありますし、夏の暑い時期に産まれたばかりの赤ちゃんに無理をしてはいけませんが、そんな気持ちを子供に伝えたいと思うだけで、大切だと思います。

次回は、いよいよ「七五三詣り」に入ります。
お楽しみに!

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