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1、お誕生の祝いについて

「産養い」「御湯殿の儀」「読書鳴弦の儀」

 

平安時代は、生まれた当日の夜、三日目の夜、五日目の夜、七日目の夜、九日目の夜に盛大に行われました。親戚縁者がお祝においでになり、子供の成長、幸せを願い、厳粛な儀式と盛大な祝宴が行われました。※特に、紫式部日記に大変詳しい記述があります。
 平成13年12月1日、ご誕生されました敬宮(としのみや)愛子内親王様の産養いの儀式も新聞に詳しく記載されていました。

 

 

人生最初のセレモニーは、人の誕生の場面です。
古代から現在においても両親、親族一同が、誕生するお子様の幸せと健やかな成長を願い、祈る思いはいつの時代も永遠に変わらないでしょう。
平安時代にも、それはそれは盛大に厳粛に執り行われておりました。
平安文学「源氏物語」「栄華物語」「紫式部日記」等々の中に詳しい記述がございますので、いくつか抜粋してご紹介します。

「源氏物語」の第九帖「葵」の巻で、光源氏の正妻、葵の上が長男、夕霧を出産する場面から。
男君の誕生でしたから、葵の上の父君の右大臣邸では皆大喜びで、三日目、五日目、七日目、九日目の産養い(うぶやしない)には、それは大層に帝をはじめ、親王(みこ)達、上達部(かんだちめ、貴族達で位の高い者)等々、一人残らず産養いのお祝をされます。
世間でも大変な騒ぎになる位の華やかなおめでたい儀式であったと書かれています。

同じく源氏物語の第三十四帖「若菜、上」巻にも書かれています。
光源氏の姫君である明石の女御が東宮に入内され、無事に男御子を出産されます。 父君である光源氏、東宮、帝(冷泉帝)、皇后(秋好中宮)もそれは大変なお喜びで、盛大な御産養いの儀式が、三日目、五日目、七日目、九日目と次々に執り行われ、例のない程、大層立派な有り様であったと書かれています。

お誕生の御産養いの儀に附随して行われる重要な儀式があります。
それは、「御湯殿の儀」と「読書鳴粛の儀」です。
「御湯殿の儀」はお誕生の日の酉(とり)の刻(午后5〜7時)に行なわれる新生児の入浴の儀式です。 七日目まで毎日行なわれ、新生児の身を清める厳粛な儀式です。
この時、同時に行なわれるのが、「読書鳴粛の儀」です。 入浴中にもののけ除け、魔除けの意味で湯殿の外で弓の弦を鳴らし、この時、読書博士が漢書ノ史記、論語等の漢籍の中からめでたい一節を朗読します。 護身法の役には高徳の僧都が伺候しています。
それは大層厳粛な儀式です。

平成13年12月1日にご誕生されました敬宮愛子内親王様の御産養い、御湯殿、読書鳴弦の儀が新聞に大変詳しく記載されていました。
私はそれを読みまして、「紫式部日記」の冒頭を思い出しました。

「紫式部日記」は、紫式部が66代、一条天皇の中宮、彰子にお仕えした時に書かれた日記です。(一部、日付、内容に異なった箇所はありますが、史実や栄華物語とほぼ同じことが書かれています。)
寛弘5年(1008年)の秋から、寛弘7年(1010年)のお正月までの三年間の日記です。 その紫式部日記の内容の三分の一が、一条天皇の皇子(敦成(アツヒラ)親王、後の68代、後一条天皇)の御誕生をめぐる諸行事の記録です。

寛弘5年9月11日、一条天皇の第二皇子、敦成親王を藤原道長の長女彰子が出産します。
日記に書かれる御産養い、御御湯殿の儀、読書鳴弦の儀の有様も、私達の想像を超える大層な儀式です。 厳粛で、善美を尽くしたその様子は、日記ですので毎日毎日事細かに詳しく書かれており大変膨大なため、ここでのご紹介は困難ですのでご了承下さい。
道長の姫君、彰子が一条天皇に入内して8年目に生まれた初孫です。 道長が、狂喜するのももっともな事です。
外戚として権力を振い、末長い政権の安定を計るには一条天皇の後を継ぐ親王を娘に生ませることが必要です。 その威権を紫式部が詳しく記録したものと思われます。
紫式部日記の内容は、栄華物語に詳しい記述がありますので挙げてみます。

「栄華物語」第八条「はつはな」より
寛弘5年9月11日、午の刻(正午〜午後2時)土御門邸(つちみかどてい、藤原道長邸)で敦成親王が誕生されました。 初めてのお産でしたから大変な騒ぎでしたが、無事にお生まれになりました。 ましてや男御子でありましたからその喜びは、並大抵ではございませんし、御湯殿の儀(生まれた日にすぐに行ないます)の有様はとても言葉では言い尽くせません。
すべて白装束に正装した女官(女房達、召し使いのこと)、すべての物に白絹の純白の覆いがしてあります。(この時代のお産の際はすべて白一色です。) お湯を浴びせ申す者も白装束に身を包んでいます。
御弦打(つるうち)の後は、五位が10人、六位が10人、御文博士(読書博士)が史記の代一巻を朗読しています。 護身役には、浄土寺の僧都が司候しています。
三日目の産養いは、中宮職の役人の藤原斉信中宮大夫(二位の権中納言)をはじめとして奉仕されます。 御供膳、御皿、器等々、若宮の御衣、衣管、調度装束にそれぞれご立派で趣向が凝らされています。
五日目の産養いは、殿(道長)が執り行われます。 その夜のとりわけ仰々しい有様(ここでも調度品、装束等々)の詳しい記述があります。
七日目の夜は、朝廷から御産養いです。蔵人少将、道雅が勅使(帝からの使い)として参上されます。 先夜の儀式にまして、仰々しく際立っていました。(ここでも調度品、装束などの内容が詳しく書かれています。)
九日目の夜は、東宮権大夫(藤原道長の長男、頼通)が御産養いを奉仕されます。 これまでとは趣向をお変えになって、女房達の装束も久し振りに白装束から優美で華やかなものとし、祝宴も現代風に行なわれました。 この日の様子は女房の装束が特に詳しく書かれています。(八日目からお仕えする女房達の装束が、白装束から色物の華やかなものになります。)

もっと詳しくご紹介したいのですが、今回はこのこのあたりで…。

雅和装学院 学院長  大久保 次江

 

子供の誕生を喜び、健やかな成長と幸せ、聡明に育ってくれればと願う気持ちは、本当に今も昔も変わりませんね。
大久保先生のお話のように、平安時代の貴族や帝の御子ともなれば驚くばかりに盛大ですね。
貴族でなくとも今のように医学の発達していない頃は、無事な出産というのは現在よりずっと有り難いことでしたでしょうし、その喜びと元気な成長への願いは一入だったことでしょう。

現在は、生まれて七日目に「お七夜」を行ないますね。
赤ちゃんの「名付け祝い」でもあり、命名書を貼り命名披露の祝宴を開きます。
まわりの方々に贈る「内祝い」は、現在はお祝い返しとなっていますが、本来の意味としては、字のごとく内輪での祝いのお裾分けです。
また、命名した名前を皆さんにお知らせする意味合いもあるようですね。

次回は、「お宮参り、五十日の儀」です。
お楽しみに!

 

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This page last update : 08/05/23

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